「俺の家の話」の話(ネタバレあります)


塩野七生氏は「ローマ人の物語 (4) ユリウス・カエサル-ルビコン以前」(新潮社)の中で、
「カエサルは一つのことを一つの目的だけではやらなかった」と言っていますが、 
現代の我が国にも「一つのことを一つの目的だけではやらない」脚本家がいます。 

そう、みなさんご存知の宮藤官九郎氏です。 

申し遅れました。 ミヤビカクリエイティブ雑学担当・MMです。 
今日は珍しく(と言えるほど投稿していませんが)、TVドラマの話です。 

以下、「俺の家の話」最終話のネタバレを含みます。 
そして、ドラマを見ていない方にはなんのこっちゃわからん内容だと思います。 
ネタバレ嫌な方、ドラマ見てない方は回れ右をお願いいたします。 





以前から宮藤官九郎氏(以下クドカン)脚本のドラマは好きで観ていましたが、
今回は何と言っても俳優・長瀬智也氏(以下ナガセ)が表舞台に立つ最後の作品でもあり、
同世代の私は初回から楽しみにしていました。 

ナガセ演じる観山寿一を中心に、プロレス、能、介護、親子や兄弟の相克、後継問題、子どもの学習障害など、
様々なテーマを扱いつつ、ナガセの格好よさも存分に描ききり、
最終話には怒涛の伏線回収とともに大どんでん返し。
個人的には軽い喪失感に陥るほどの余韻を残した良作でした。


最終話の途中で観山寿一/世阿弥マシーンが試合中の事故で命を落としていたことが明かされます。 
主人公なのにそりゃないぜ。

しかし本人と父親の寿三郎だけが、その死を受け入れられない。

私は主人公の死という意外な展開に涙も出ず、
異様にデカい骨壷に笑わされたりしつつ視聴していたのですが、
「隅田川」の舞台袖に現れた寿一が、お風呂スタイルだったところで涙腺崩壊。 

そうだよね、お風呂に入れてあげることが親子が持った初めての絆だったもんね。
「風呂は寿一じゃなきゃ嫌なんだよ」と、初めて認めてもらえたんだもんね。 

やっと死を受け入れた二人。
寿三郎に一生分褒めてもらって、消えていく寿一。 
寿一のいじらしさ、親子の思いの深さ、ただただ切ない。 


ラストシーンでは、観山寿一/世阿弥マシーンが、マスクだけをリングに残して去っていきます。 
これはドラマの中での寿一との別れだけでなく、
ナガセがこれまで表舞台の人間としてかぶり続けてきた仮面に別れを告げたことのメタファーですよね。
これがナガセの最後のドラマであることを知らなくてももちろん楽しめる作品でしたが、
そこは「一つのことを一つの目的だけではやらない」クドカン。 
表舞台から退くにあたり、こんな花道を作ってもらえるなんて、ナガセは本当に皆から愛されていたんでしょうね。 

しかもその花道にはバックドアがあるらしく、寿一(=ナガセ)が、「会いたくなったから出てきちゃ」えるらしい。 
たまには出てきてくれていいんやで。 


そしてもうひとつ。 ナレーションでごくごくさら〜っと触れられていましたが、
西田敏行氏演じる寿三郎(寿一の父)は「死ぬギリギリまで地謡として舞台に立ち続けた」というのも実は見逃せない言葉じゃないかと。 
これは現実の俳優・西田敏行氏自身の「命尽きるまで俳優でいる」覚悟を投影しているのだと私には思えました。 


去る者、残る者。 ドラマの登場人物だけでなく、演者の背景をも織り込んでの重層的な脚本にただ脱帽です。 
さすが「一つのことを一つの目的(以下略) 


ミヤビカクリエイティブも、「一つのことを一つの目的だけではやらない」ことを目指しつつ、 まずは一つの目的を確実に達成することからコツコツお手伝いさせていただきます。 

ぜあっ!


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